2017年も半分が過ぎた(呆然)

ちょっとまじかよ……

2017年も半分が過ぎ去ってしまったところで、

転職した先の社長の口癖が「変化を恐れてはいけない」と

「日々勉強」なことを受けてか、

今年中にDALFに挑戦しようと決意いたしました。

落ちてもいいから、もう一度フランス語にのめり込みたい。

それから絵の勉強がしたい。

 

今まで色んなモノに手を付けては手放してきた私なのですが、

残り半年はこの二つに向かって邁進しながら

仕事でもコツコツと人の役に立っていけたらいいかなと思っております。

 

あと本や映画の感想も

きっちりこちらのブログにあげたい(願望)

久々

久々の更新。もはや見ている人もいないと分かっていての更新。

 

映画の感想をちらほら。

 

まず『幻の光』(1995年/監督:是枝裕和

江角マキコ演じるゆみこは幼い頃に何処かへと行くのを引き止められなず、

そのまま行方不明になってしまった祖母の夢を大人になった今もなお見る。

映画はいなくなってしまった祖母と入れ違うかのように現れる

ゆみこの旦那・郁夫とゆみこが視線を交わす回想シーンから始まる。

子供を授かり幸せに見えた日々も、原因不明の夫の自殺により終幕となり、

数年後ゆみこはアパートの1階で呉服店を営む女性に紹介された民雄と再婚。

幼い息子の手を引き、能登へと移り住む。

静かに穏やかに、新しい夫と連れ子の少女と息子と祖父と近所の人々と、過ぎていく能登での日々。しかしそんな日々も弟の結婚式のために亡くなった夫と暮らしていた大阪に一時的に帰ることによって段々と歪み、きしみはじめる。

『私、どうしてかわからへんねん』

最期、精一杯振り絞ったゆみこの声は、ゆみこが抱え続けてきた前夫への

懐疑心と不安と多分少しの怒りと愛情で揺れていた。

もう過去になったはずだったのに、それでもまだ分からないことが怖くて、

でも過去になんて戻れないから、その理由を知ることさえままならない。

幸せだったのは自分だけだったのかーー

ゆみこの幸せは彼女一人が感じていればそれで良いものではなくて、

夫が死ぬ前の彼女はきっと夫も同じ幸せを感じていると無意識のうちに当然のことのように思っていたから、だからこそそのことが痛く彼女の心を刺したんだと思う。

 

江角マキコがとても若くて演技もみずみずしくて良かった。

2015年を振り返って 大反省会その1

2015年が終わろうとしています。

驚きです。

 

正直、この1年は私にとって後悔を山のように生んでしまった1年でした。

フランスから帰国して応募したとあるNGOインターンに採用していただけたにも関わらず、その後の就活や卒論という口実に甘えて結局インターンとして働くことができず、組織にも迷惑をかけ、また自分としても応募時の目標であった『NGOの内側を見る』を実現できずに終わってしました。職員のかたは、その組織とつながれたことを今度に生かせることができればよいねとおっしゃって下さったので、この経験やつながりを今後に必ず活かしたいというのがまず反省点1つ目。

 

2つ目は留学経験を棚に上げて、日本で自分がすべきこと・学ぶべきこと・見つめるべきことから目を逸らしていたこと。フランスにいたときから、帰国したら気を付けないといけないとずっと思っていたことなのですが、要はフランスかぶれしてたなあ~自分ってことです。もちろん、私は今でも日本よりフランスのほうが私にとっては(ここ重要)合っていると思っています。ただ、だからと言って、目の前にある出来事・人・やるべきことから目を逸らすことの言い訳にそれを使ってはいけないと思います。私はそういうことをしていた。

具体的に言うなら語学の勉強が挙げられる気がします。

仏語はB2と仏検準1の筆記(面接は来月)に受かり、とりあえず日常には困らないレベルまでは上達しました。でもだからと言って、私が将来必要とする英語を勉強しない理由にはならない。のに、心のどこかでは『去年1年必死に勉強したしいっかー』とか『英語勉強してもどうせできひんしなぁ』という甘えがあったように思います。はい、認めましょう、私はクズだった。

この後悔から得られる教訓は1つ、『過去の栄光に縋っておごり高ぶらないこと。常に謙虚に、現在と未来のことを考えること。』です。なんだか松岡修造さんみたいになってきましたね。ちなみに私の勉強机の上には修造カレンダーが飾ってあります。

 

3つ目は2つ目とかぶるかもしれませんが、自分の気持ちに向き合えず軸がぶれブレであったこと。

就活に際して、最初は『成長できるベンチャーか海外進出している企業』と思っていました。しかし、みんなと同じ黒スーツを着込み、グループワークではその時々のメンバーを気にしなければならず、なんだかそういう心が疲れることの繰り返しに私は勝てませんでした。そしてふと、違う業界に挑戦してみようと思い、出版社を受け始めます。もともと、本や漫画が好きだったというのもありますが、なんで受け始めたんだろうと今でも謎です。後々考えると、楽しかったし、良い経験になりましたが、結局私はいわゆる大手出版社というカッコイイ名前を手に入れたかっただけだったんだなと思っています。出版社ならもっと他にもたくさんあったし、会社によってはバイトから始めることだってできるのに、その道を選ばなかったということは、その業界に対してそこまで執着心もなく、また大手に行きたかっただけなのだと思うのです。

海外、アフリカ、フランス語、自分で動く、といった自分の中に占めるワードを無視してしまっていた気がするのです。いやー、迷走してました。

 

この1年、後悔しかないから今のうちにそれをぶっこんで

教訓と化して来年はすっきりした気持ちで迎えて卒論を出そうという気持ちで書き始めたこの謎記事。

次回へ続きます。(授業始まる)

『雲の墓標』阿川弘之

高校の恩師から卒業の際に渡された『読書リスト』。

まだ半分も読めていないという体たらくですが、なんとか卒業までにあと数冊読みたい。

今回読み終わったのは阿川弘之の『雲の墓標』

学業を中断し、戦争へと巻き込まれていく学生の心情が

生活記録風に淡々と書かれている。

作者自身も東大の国文科の学生だったが、繰上げ卒業し、

海軍予備学生として海軍に入隊したそうで、

その経験を基に書かれているからか、とても現実味がある。

軍への入隊、そして戦況や軍での理不尽に対して憤りなどを時々あらわにしながらも、

国のために死ぬことにはむしろ肯定的な主人公・吉野であるが、

「しかし、自分たちにはもはや、なにものかを選ぶということはできない。定められた運命の下に、自分を鍛えることだけが、われわれに残された道だ」とあるように、

どこか諦めたような部分も垣間見得る。

そのような感情のふらつきが、精神的に訓練され自ら志願した兵士とは違う、

学生らしさ、ひいては親近感を与えるのかもしれない。

 

また、国文学科であった吉野は、最初、入隊した直後の頃は

万葉集に想いを馳せる描写も多く見られるが、

時間が進み、戦況が悪化していくにつれてその描写もなくなっていく。

段々と、彼の心が戦争に取り憑かれ、疲れやつれ果てていくのが

ありありと分かる。

 

ありきたりな感想になるが、

戦争が人の心をどのようにして疲労させていくのかを

改めて目の前に突きつけられた。

ただ平和を叫ぶ作品ではなく、

淡々と冷静な口調で語られていくからこそ、

心に深く残るものがあった。

 

 

3月のライオン11巻感想

前回の更新から数ヶ月…。

最後の《それでは3日後〜》が心に刺さるぜぇ。

 

就活も終え、最近はバイトとオタ活に勤しみながら卒論と仏検の勉強を進めております。

10月からは好きなアニメの後半が始まる(しかも2作品)ので、感想を垂れ流すために重い腰をあげました。

 

どうして久々にブログを書こうと思ったのか?

それはフラゲもせず、発売日きっりちに入手した『3月のライオン11巻』の感想や疑問、私の独断と偏見しかない勝手な考察をぶちまけたかったからさ!!!!!

どうしてこんなに中2っぽい喋り方かって、それは秘密。(特に理由もない。ただテンションが高いだけ。)

 

ここからはネタバレをふんだんに含みますので、11巻未読の方はご注意を。

 

10巻の終わりに豪快に盛大に、ひなちゃんへのプロポーズをした零ちゃん。

世間にいる大多数の人が通るであろう幾つかのステップを完全に無視していますが、

そんな零ちゃんの姿すら読者からすると成長の証に映るから、あら不思議☆

その姿は成長の証であると共に、零ちゃんの行動に度々見られる《目的のための最短ルートを超論理的に考える》性質も表しているのかな、と。

ちょっとここはあやふやで、あと5周くらいライオン読み返さないと語れないっす。

 

11巻の中から、私的ここは!!!というシーンを勝手に抜き出して勝手に感想を言いたいと思います。

 

まず本文1ページ目の、零ちゃんの青天の霹靂な発言に対する林田先生の顔に爆笑しました。3月のライオン(以下、ライオン)はメンタルを削ってくる作品なので、覚悟してページを開いた瞬間、林田先生のE.Tを見るような呆然とした表情があるんですよ。そら笑うわ!!羽海野先生…、さすがっす…。これがしょっぱいもの(シリアスシーン)と甘い物(コメディシーン)の終わらないリレーというやつですか…。ヒィ…。

 

11巻だけでなく、羽海野作品全てにおいて言えることですが、

ファンで集まって一緒に読みながら、

ここはこうだあこはあれだと好きなだけ議論したいですね。

たまに読んでる時には理解できないフレーズとかが、

日常の生活の中でイヤホンコードのもつれが解けるようにふって分かるようになることがあって。

そういうことが、人と話しながら読むことによって期待できそうなので一度やってみたいです。

 

お次は、野口くんと林田先生が川本家の晩餐に招かれるシーン。(零はもう川本家の一員じゃないのかと思い、外しましたw)

この川本家手巻き寿司四天王のツナマヨ、トロタク、イカ納豆、マグロのユッケのうち、マグロのユッケとトロタクのレシピが知りたい私。ファンブックにちょくちょくレシピが載っていたりしますが、いつかレシピだけの本を出して欲しいと思うくらい、3月のライオングルメ漫画の面も持ち合わせていると思う今日この頃です。

 

そして、入院する相米二じいちゃんのもとへ見舞いに来たあかりと美咲おばさまのシーン。おじいちゃんが川本家を支える大黒柱だと思っているので、おじいちゃんには早く回復して欲しいところ。でも、必然的におじいちゃんがいなくなる日は来るわけで。おじいちゃんはそこまで考えてそう(ていうかそういう描写かシーンありませんでしたっけ?探す力が無いから、これは次回の課題)。

この巻では、おじいちゃんが零ちゃんに対してどう思っているかが語られるシーンが2箇所ありますが2箇所ともに好きです。ていうか全部好きです。

このシーンでおじいちゃんが、零ちゃんの棋士としての強さの前にはひ弱な誠二郎(以下、捨男)などひとたまりもないだろうと言っています。これを読んで、改めて零ちゃんの強さをひしひしと感じました。零ちゃん視点で物語が進んでいる時はなかなか気づけませんが、7巻の対順慶戦などを読んでいると零ちゃんの精神的強靭具合に感服します。ちなみに7巻の順慶戦はかなり好き。私的ベスト3に入る対局です。

そしておじいちゃんもよく見ているなぁ、と。

私自身は失礼ながら、零ちゃんに対して美咲おばさまと同様におとなしいイメージを持っていた人間でした。7巻などを通して、零ちゃんの精神的な強さは読み取っていたつもりでしたが、それらはあくまで将棋をしている時、自分自身に向き合う際の強さ。対して、人に向かう時の零ちゃんは弱い人なのだと勝手に思っていました(零ちゃん本当にごめん)。

でも将棋に向かうということは、ひいては基盤の前にいる対局相手と向き合うこと。しかも両者、勝敗を賭けて本気で向き合っているわけで、そりゃあ弱いわけないよな、と。

 

そしてこの巻一番と言っても過言ではない名シーン(だと勝手に思っている)、捨男と零ちゃんのガチンコバトル。

ここ、もっともっと読み込んでからじゃないと語れない。てか読み込んでも、羽海野先生の作品は語れない。恐れ多すぎる。羽海野先生は神であられるからな…。

話が逸れた。

零の冷めきった表情と、貼り付けたように笑う捨男のコントラストが重すぎる。

11巻、前半は比較的コメディ要素が多くすらすら読めてたんですが、後半になってから急に夏の夕立のごとく襲ってきたハラハラシーン

この零ちゃんの表情、見覚えあるなぁと思ったら、1巻の頃の零ちゃんの表情に似ているような。川本家のあたたかさに触れて穏やかになった零ちゃんが、その川本家の人々を守るために以前の表情に戻る。守るものを見つけた人間は強い、なんて王道コースが羽海野先生の手にかかると悲しくも見えて不思議。羽海野先生は神であられる。

そしてカッコウの話!!!!!!!!!

ここを読んだ瞬間、1巻の話を思い出して鳥肌がぞくぞくと立ちました。羽海野先生の頭の中はどうなっていらっしゃるんですか(感涙)。

自らとカッコウのようだと言う捨男と、かつて幸田の家にいた時の自分をカッコウのようだと形容した零。

同じ動物でもこの二人が言うカッコウは違う。何が違うのかを考えてみたのですが、捨男はカッコウの親鳥、そして零は他の鳥の巣に産み落とされたヒナ鳥という立場の違いかと。

そりゃあ、他の鳥の巣に自分の子供置いてひょいひょい逃げる奴はあんな風な顔しますよね…。

もちろん、零ちゃんは捨男のような身勝手な男に捨てられたわけではないので、簡単に比較はできませんが。

 

このカッコウの話で終わるChapter.110から次の111の流れが秀逸だなと。

羽海野先生はいつも秀逸であられます。

立ち向かう者と、座り込む者。

前者が零ちゃん、後者が捨男を指しているのかなと。

産み落とされた他の鳥の巣の中で、生きるために立ち向かった零ちゃん。

他の人間のところへずかずかと座り込む捨男。

 

ここまで捨男のことをボロクソに書いておきながら、この捨男って羽海野作品の中で珍しいキャラだなぁと思うのです。羽海野作品の中で、絶対的悪役キャラって少なくないですか?ハチクロで、森田父の会社を買収した会社の社長(名前探したけど見つけられませんでした)も、10巻のChapter.63での家族との描写で人間味を見せることで、読者が情状酌量の余地ありだと思うことができたわけです。

とか言いながら、ライオンでの零ちゃんの対局相手とか、結構嫌な人いましたね…。

今思い出した。

私個人が、作品中における絶対悪を嫌うタイプの受け手なので、この捨男のエピソードをまたどこかで描いてもらえたら嬉しくて死んじゃう…。

 

とりあえず今日のところはここら辺で…。

来月からK2期とファフナー後半の感想もここにアップしていくかもしれませんが

何卒よろしくお願いします〜。

ほな!

卒論が私を呼んでいる。

ブログ一新!

これからは読書録として使おうと思います。

というのも毎年、年間に100冊の本を読むという目標を掲げながらも全く達成できていなかったからです。ブクログの読書目標設定したりしてましたが、ブクログの読書目標って携帯からだと見にくくて、結局気がつけば1ヶ月で10冊の目標を達成できない日々が続き、今に至る、と。

ブログなら毎回書くたびにちゃんと日にちも残るから、

『お、前回書いたのは3日前だから』

とかちゃんと考えてペース配分して本を読めるかな〜と。

 

別に冊数が多ければそれでいいというわけではありませんが、以前作家の卵の方とお話していて、『沢山読んだほうがいいよ〜』と言われたのがずっと心のなかに残っていたので。頑張ろうと思います。

 

さぁ、記念すべき第一回目は

『失われた感覚を求めて 地方で出版社をするということ』(朝日新聞出版社)

出版社って東京にあるイメージを持っている方がほとんどだと思います。

私もそういうイメージを持っていましたし、今でもそう思っています。知り合いの人にも『マスコミ行きたいなら東京だよ〜』みたいなことを言われました。それくらいにマスコミ、特に出版社は東京に集中しています。

そんななか、東京・自由が丘と京都にオフィスを持つミシマ社という出版社があります。

城陽にオフィスを構えてから(京都市内にオフィスを移す前は城陽にオフィスがあったそう。城陽といえば高校時代の友人が住んでいて、彼は城陽国民と周りにいじられていました。)今に至るまでの経緯を代表の三島さんが書かれているんですが、三島さんがすごく感覚を大事にされている方なんだなぁと読んでいてひしひしと伝わってきました。

 

 

もっと色々書きたいんですが、明日卒論の中間発表があって準備をしなきゃいけないので今日はこの辺で…。

次は何を読むかというと、『街場の戦争論』(ミシマ社)ですです。高校の恩師が著者の内田先生の隠れファンで、それがきっかけで『子供はわかってくれない』を読んだのが内田先生の本を読むようになりました。

あぁ、そろそろ卒論せねば…。

では、また3日後〜