『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』
こういう物語に出会うために生きているんだなと思える映画を観る度に、映画館から出た帰り道に踊り出したくなる。実際に大都会の映画館出てすぐの道でそんなことをやってのける勇気はわたしにはないのだが。
『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』はそんなふうに思えた映画のうちの1つだ。
シネマート新宿の劇場内は全力でクーラーが効いていて寒かったのもあるけれど、劇場を出て階段を降りる私の足取りはいつもより力強く、ジェヒのようにずんずんと歩いていけた。
はみ出し者としての共通項がふたりを結びつけるわけだが、そのふたりですらお互いの痛みというのは何もせずに分かるわけではない。ジェヒの「下着が盗まれたかもしれない」という訴えをフンスは実際に犯人が窓の外にいるのを見るまで本気で受け取ろうとしなかった。ジェヒもまた、クローゼットのゲイとして生きるフンスのセクシャリティをアウティングしてしまう。ジェヒからすると「殴られそうだったから(守りたくて)」とのことだったが、「アウティングされるより殴られたほうがマシだった」と話すフンスの中での痛みの重さをジェヒは知らなかったのだ。(そもそもどんな状況であっても、アウティングはするな、とは思う)
ジェヒとフンスの関係性が羨ましいと心の底から思った。何かあったらすぐに電話ができて、心配し合ったり、支え合ったり、時にぶつかり合える相手。
特に最後、ジェヒの元婚約相手が家に勝手に侵入して暴力を振ってきたシーン。電話越しのジェヒの声だけでフンスはジェヒの身に何か起きていることを察する。
夜道に周囲をずっと警戒しながらイヤホンせずに早歩きすること、防犯のために戸締りを常に確認すること、そのことをその経験がない人に話す度に疲れる。そういう経験がなくて良かったねと心の中は皮肉いっぱいになる。もう説明することにも疲れて、全て自分でやろうという気持ちになる。
ジェヒは元婚約者から裸足で逃げる中、真っ先にフンスに連絡する。それだけ、まだフンスを信じているということ。あれだけ傷つけ合っても尚、まだお互いを信じるその強い絆がうらやましい。
その強い絆は、傷つくことを恐れずにぶつかり合っていたからこそのものだったから、うらやましがっているだけじゃなくてふたりの姿を少し見習わないといけないかもと思ったりした。